2009.09.23

なる句、する句。

[ design ]

日本の美意識 / 宮元健次より引用。


--------引用--------

句作になるとするとあり。
内をつねに勤めて物に応ずれば、その心のいろ句となる。
内をつねに勤めざるものは、ならざる故に、私意にかけてする也
(赤冊子 / 芭蕉)

すなわち、自らの心を責めず「重み」を通り抜けることのない者は「する句」となるというのである。
芭蕉の俳諧は「する句」ではなく「なる句」であると語っていることになる。

この「なる句」について彼は「栖去之弁」で次のように記している。

風雅もよしや是までにして口をとぢむとすれば、風情胸中をさそひて物のちらめくや風雅の魔心なるべし

つまり、心を責めて「重み」を通り抜けた後に、いわゆる魔心の誘いによって句がおのずと生まれるというのである。
いわば芭蕉の句は「私意にかけて」作られたものではなく「授けられた」句であるというのだ。

--------引用ここまで--------


日ごろ、広告で嘘はつかない、シチュエーションを作りすぎないってことを常に意識していた。
この意識を人に言葉で説明しても、なかなか本意が伝わらない。

この一節を読んで、あーこれだーって思った。
芭蕉は句だけど、これを自分のしていることに当てはめればよい。

芭蕉は旅という苦行の元、自分を責めた。
自分達はどう自分を責めて追い込めばよいのか。
悩んで悩んで、苦しんで、最後にぽっと出てきたもの。
それが「なるデザイン」だね。

INOMAの仕事も、まさしくそれだった。
ブランドを作りたいという発注から納品まで2ヶ月なかった。
その2ヶ月はほんとに悩みまくって、たっくさんのショップやギャラリーを見て周り、日本文化に関する本を読んだ。
とにかく情報をたくさん詰め込んで、それら情報をどう、今回の依頼に当てはめていくか。
新しいブランド、文化を創っていくか。

「するデザイン」が横行する今の広告業界。
意図的にするんじゃなくて、自然と出てくるもので勝負して行きたい。
ボクが尊敬する人たちは、みんなそんな感じで仕事しているように見える。

自然と出てくるまではかなりの鍛錬が必要だ。
日々の生活もないがしろにせず、そこすらもデザインの畑にしてしまう。
ここまでやりこまないと、真のデザインは生まれてこないな、と感じている。
日々の生活で意識していれば、INOMAの時みたいに、情報インプットに走り回る必要もなくなるだろう。
折形デザイン研究所や、さる山のように。

周りの人に、ちゃんと生活しようよーと言うことがある。
これは人間的、社会人的にしゃきっとしようって意味じゃなくて、
日々の生活も、デザインや、コンセプトワークや、ネタの畑にしようよってことで言っている。

とても難しいことだけど、この「なる句」の考えを引用すると、すんなりと人に理解してもらえるような気がする。


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「古池や蛙飛こむ水のおと」

この有名な句は、芭蕉が旅に出るときに決意を詠ったものだそうだ。
この句がなんで、旅の決意なの?
これを理解できないボクは、まだまだ人間的に未熟だな、と感じた。


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